昨日はDVDを借りてきて、『雨の日は会えない、晴れた日は君を想う』を観た。
観終わった後は、冒頭で主人公のデイヴィスがそうだったように、大きすぎる衝撃に感情が麻痺しており、頭の中が熱をもったままフリーズしてしまったような状態だった。いまもまだそんな感じが続いている。
でも一晩たってみて、少しは自分の中で整理がついてきた。
デイヴィスは妻をなくし、心のバランスを失って奇行に走ったのではなく、あれは意志だったのではないかと思う。
妻の死に悲しみすら感じない自分。感情がぼやっと麻痺するなかで、怒りだけは麻痺していなかった。お金をいれたのにチョコレートの袋がひっかかり自動販売機から出てこない、空腹だったので頭にきた。
だから怒りを拠り所に、自分を回復させようとしたんじゃないかと思う。
便箋に長々と自分の身に起きたことを書いて手紙に出すのも、「どんな気分だ?」と聞かれて電車を止めたのも、妻の遺産の使い道を自分の意志と関係のないところで決められてサインしないのも、ひたすらモノを壊し続けるのも、怒りという感情に素直に行動している。そうすることで、自分の心の本来の動きを取り戻そうとしているように見えた。
そしてそのその行動の先には、不思議な出会いがあり、心の交流があり、釘を踏み抜いた生々しい痛みがあり、つきまとう不吉な影があり、世界から妻の姿がちらちらと浮かび上がり、記憶が感情をともなって訪れ、彼はどんどんと回復していった。
ロック&ロールを聞きながら街の中で踊るデイヴィス。子どもの頃、僕らはあんな風に心を弾ませていたはずだ。彼が駆け出し、駆け抜けたエンディング。感情に蓋をして日々をやりすごす僕には、とてもまぶしい笑顔に見えた。
ところで!話しのラストの方で挟まれたひとつの逸話。あれはどういうことだったんだろう。ストーリー的に言えば、何かを示唆していると思うがまだうまくつかめずにいる。
そしてタイトルにもなっている『雨の日は会えない、晴れた日は君を想う』。サンバイザーから落ちてきた付箋。どういうことだろう…。まだもやもやとしています。